東京地方裁判所 昭和29年(ワ)9305号 判決 1959年2月10日
三菱銀行
事実
原告財団法人満蒙同胞援護会は請求の原因として、原告は昭和二十年八月三十日「財団法人満洲国関係帰還者援護会」なる名称を以て設立され同日その登記を経、昭和二十一年三月二十八日現名称に改め、同年四月四日その登記を経由した公益財団法人であるが、昭和二十年九月一日被告株式会社三菱銀行との間に特別当座預金取引を開き、同日金四千五百万円を預け入れた。その後右預金のうち三千八百万円の払戻を受けたので、右預金残高は金七百万円となつたが、被告は原告の請求にも拘らずその払戻に応じない。よつて原告は、被告に対し右金七百万円及びこれに対する支払済までの遅延損害金の支払を求めると主張した。
被告株式会社三菱銀行は抗弁として、原告主張の預金債権は次の理由によつて既に消滅した。すなわち、(1)、当時わが国を占領中の総司令部は、原告法人を以て昭和二十年九月三十日「外地並ニ外国銀行及特別戦時機関ノ閉鎖ニ関スル覚書」により閉鎖機関に指定された満洲重工業の寄附行為に基き金三億円の提供を受けて設立されたことに徴し、右閉鎖機関の別働体たる疑があり、本件預金が右寄附金の一部を以てなされたものと認められるとして、同年十一月十六日日本政府に対する「満洲国関係帰国者援護会勘定の凍結に関する覚書」により右預金の凍結を命じた。(二)、その後閉鎖機関の業務及び財産について昭和二十一年二月六日公布の大蔵、外務、司法省令第一号により保管人委員会委員長に専属の管理、処分権が与えられたが、保管人委員会委員長は総司令部の命令に基き被告に対し昭和二十一年十二月十三日附書面を以て「満洲国関係帰国者援護会名義の預金は、満洲重工業が満洲中央銀行からの借入金を分散預け入れたものであるが、関係者との協議の結果満洲中央銀行に返還することになつたについては、右預金を解約の上元利金とも日本銀行本店における満洲中央銀行名義単一当座預金勘定に振込まれたい」旨を指示した。しかして被告は、同日日本銀行からも同様の電話指示に接したので、本件預金を含む満洲国関係帰国者援護会名義の預金全部につき同日までの利息を加算の上これを日本銀行における満洲中央銀行の預金口座に振込手続を了し、直ちに原告に書状を以てその旨を通知した。すなわち、被告は本件預金につき総司令部の命令に従いその決済を遂げ右預金関係から離脱したものであるから、重ねてこれが払戻の請求に応ずべき義務はない、と抗争した。
理由
証拠を綜合すれば、次の事実を認めることができる。すなわち、
一、満洲重工業は終戦直後満洲中央銀行から金三億円の貸付を受ける一方原告法人設立のための寄附行為をなし、これに基き右借入金を原告に提供した。しかして原告はその一部を本件預金として被告銀行に預金したものである。
二、ところが昭和二十年九月三十日総司令部の日本政府に対する指令第七十四号「植民地並ニ外国銀行及戦時特別金融機関ノ閉鎖ニ関スル覚書」が発せられ、これにより満洲中央銀行及び満洲重工業は何れを閉鎖機関に指定された。さらに同年十月八日には右覚書の補足的指令として「金融機関閉鎖ニ関スル補充命令ニ関スル覚書」が発せられた。日本政府は右両覚書に基く立法措置として昭和二十年十月二十六日大蔵、外務、内務、司法省令第一号を公布し、満洲中央銀行及び満洲重工業を同省令にいわゆる指定機関とするとともに指定機関の所有する一切の財産につき大蔵大臣の許可がなければ売買、譲渡、回収、処分その他の取引をなすことができない旨及び昭和二十年九月三十日以後同令施行前になした指定機関の財産処分行為で大蔵省の許可のないものは無効とする旨を定めた。
三、しかして総司令部は、原告法人が終戦後満洲重工業からその寄附行為を受けて設立された事実に徴し、右は閉鎖機関たる満洲重工業の掩蔽体たるものと信ぜられる理由があるものとなし、同年十一月十六日頃原告が当時所有していた現金等の資産を凍結せしめたので、大蔵省は被告銀行に対し本件預金を含む原告法人名義の預金を直ちに凍結すべく指示をなし、被告銀行は爾後、右預金の払戻を停止した。
四、その後昭和二十一年一月十八日総司令部は日本政府に宛て「昭和二十年九月三十日附覚書により閉鎖された機関のための保管人委員会設置に関する覚書」を発したので、日本政府は右覚書設置の法的措置として昭和二十一年二月六日大蔵、外務、司法省令第一号を制定公布して保管人委員会の機関及び権限を定め、閉鎖機関の業務及び財産の管理及び処分をなす権利を委員長たる鈴木祥枝に専属せしめた。右保管人委員会は国内法上政府の機関として設置されたとはいいながら、総司令部に直結し、その命令に基き閉鎖機関の財産管理並びに清算手続の執行に当るべく性格づけられたものであつたが、
五、越えて同年八月初頃、総司令部は原告法人が閉鎖機関たる満洲重工業の寄附を受けて保有する三億円の資産を右閉鎖機関に返還せしむべく企図し、保管人委員会に対し、原告の承諾を取付けて右資産返還の処理をなすように命じた。そこで右委員会委員長は同年八月六日原告に対し書面を以て、原告法人名義の市中銀行における預金残高を日本銀行における満洲中央銀行名義口座に集中すべきにつき、その承諾を要請する旨を伝達したが、原告はこれに対する諾否につき黙殺の態度を定め、保管人委員会に何らの回答を与えなかつた。
六、これがため、同年十月二十一日開催の第五十三回保管人委員会の会議において、総司令部代表官は保管人委員会に対し口頭で「終戦後満洲中央銀行が満洲重工業に対してなした金三億円の貸出並びに満洲重工業が原告法人に対してなした金三億円の寄附はすべて取り消されなければならず、原告法人の銀行預金の残高は日本銀行における満洲中央銀行の勘定に返済且つ移管されねばならない」旨の命令を発したので、保管人委員会委員長鈴木祥枝は右命令に基き同月二十四日被告銀行本店に対し書面を以て原告法人の同銀行における預金残高照会をなした上、同年十二月十三日被告銀行に対し同日到達の書面を以て「満洲帰国者援護会名義の預金は満洲重工業が満洲中央銀行からの借入金を分散預け入れたものであるが、今般当委員会及び関係者間に於て協議の結果、満洲中央銀行に返還することとなつたについては、さきに同年十二月二十五日附を以て発した処理要項に従い、右預金解約の上元利金とも日本銀行本店における満洲中央銀行名義単一当座預金勘定に御振込相煩度此段御依頼申上候」なる旨を申し送つた。なお右同日、日本銀行閉鎖機関処理部からも、被告銀行に対し右預金の移管に関して前同様の指示がなされた。そこで被告銀行は同日、本件預金を含む原告法人の預金全部につき行内における取扱上解約の処理をなし、同日までの利息を加算の上これを日本銀行における満洲中央銀行の単一当座預金勘定に振込み、原告に対しその旨を通知した。
以上のとおり認められるのである。
ところで、前記六、の事実中、総司令部代表官の口頭指令につき、原告はこれを総司令部係官の単なる個人的意見に過ぎず、その手続、内容の両面から総司令部の命令とはいえないと主張するけれども、総司令部経済科学局から保管人委員会に対する指令伝達については、当時総司令部代表官が保管人委員会に出席して直接指令を与える方式が採用されていたのであつて、原告主張のように、終戦連絡中央事務局を経由すべく限定されたものではないから、本件命令がその伝達方式に瑕疵があるという原告の主張は当らない。
次に前記六の事実中、保管人委員会委員長の昭和二十一年十二月十三日附被告宛書面につき、被告は、これが総司令部の命令実行機関として発した指示であつて総司令部の直接行為と同一の法的拘束力を有するものであると主張するに対し、原告は、これが単なる依頼状に過ぎず何ら法的拘束力を有するものではないと主張するので考えてみると、右文書によれば、本件預金は本来閉鎖機関たる満洲中央銀行に帰属すべきものであつて総司令部から日本銀行における右閉鎖機関の預金勘定に移管すべく命じられたから、右閉鎖機関の財産処分権を有する保管人委員会委員長として右権限に基き右預金の振替を求めるという趣旨が汲み取られる。しかして右文書には、「右預金解約の上」という文言があるが、前記「処理要項」第10項に徴すると、右文言は預入銀行たる被告と預金債権者すなわちこの場合前記閉鎖機関(と解するほかはない)との間において預金契約が解約されたものとして処理すべきことを意味するものと解して妨げなく、あえて預金名義人たる原告の承諾を取り付くべきことを意味するものと解する要はない。原告は、保管人委員会において前記五のとおり本件預金の振替につき一応原告の承諾を求めた事実を挙げて右解釈を争うもののようであるが、右文書が発せられるに至つた前記六の経緯まで考慮に入れると、被告の右主張が理由のないものであることは明らかである。ところで保管人委員会は前記四のとおり国内法上閉鎖機関の業務、財産の管理、処分権を与えられたものであつてそれ以上のものではない。もつとも、その処理方法については総司令部からその直接の指揮命令に服すべく命じられてはいたが、それだからといつて保管人委員会委員長の行為を以て総司令部の直接行為と同一に評価すべき根拠はない。そうすると、右文書の趣旨に関する原被告双方の主張はともに採用しがたく、むしろ保管人委員会委員長は本件預金がその預入名義に拘らず実質上前記閉鎖機関の財産たることを前提として、右文書により預金債権者たるべき右閉鎖機関の権利を行使し振替を請求したものと解するのが相当であつて、右請求の前提が是認されるときは被告においてこれに応ずべき義務を負担し、その限度においては法的効果を生じたものといわなければならない。
そこで総司令部が保管人委員会に対して発した本件預金の移管命令が、当時わが国を占領していた連合国のいかなる管理方式に属したものであるかを考えると、証拠によれば、総司令部は閉鎖機関の財産処理については、原則として保管人委員会委員長に財産処分権を与え、保管人委員会なる政府の機関をして国内法的措置をなさしめたことが明らかであつて、間接管理の方式に従つたものというべきである。しかしながらこの場合も、直接管理の可能性が留保されていることはいうまでもなく、本件預金を含む原告法人の資産は、前記三のとおり閉鎖機関たる満洲重工業の掩蔽体と信じられる理由があるとしてなした総司令部の指令に基く大蔵省の指示により凍結されたが、この場合右指令には原告の同意を要しない旨が明らかにされていることからも、総司令部は日本政府をして憲法の領域外において凍結の措置をなさしめる意思であつたことは疑うべくもなく、従つて右預金は大蔵省のなした右非立憲的措置により支払差止めの効果を生じたものであるといわなければならない。そのような関係にあつたところに前記五の経緯をとつたとはいえ、結局前記六のとおり本件預金移管の命令が発動された点を考えると、総司令部は、満洲重工業のなした前記借入並びに寄附の効力を否定し、本件預金が実質的に閉鎖機関たる満洲中央銀行の財産であることを裁定し、これに伴い国内法上生起すべき違法問題を超越しても右閉鎖機関の財産につき管理処分権を有する保管人委員会をして右預金の振替処理をなさしめる意図に出たものと推認される。すなわち、本件預金をもつて閉鎖機関の財産と認める裁定は直接管理の権力を発動したものというべく、保管人委員会が右裁定に拘束されるのは当然であり更に又保管人委員会が右裁定に基き被告銀行に対し右預金の振替を請求した以上被告銀行は勿論預金名義人たる原告も亦反射的に右裁定に拘束されざるを得ないものという外はない。
してみると、保管人委員会委員長のなした本件預金振替の請求は右預金が閉鎖機関の財産であるという前提につき預入銀行たる被告並びに預金名義人たる原告に対する関係において是認される結果、国内法上これに応じた法的効果を生じたものであるから、被告銀行は右請求に従い右預金の振替をなしたことにより適法に右預金返還債務を免れたものである。いきおい原告が右預金債権を喪失し財産没収に類すべき損失を蒙るのも総司令部の前記裁定を争い得ないものとすれば当然のことであつて、けだしやむを得ないものといわなければならない。
よつて、本件預金債権が今なお原告に帰属して存在することを前提とする原告の請求は失当であるとしてこれを棄却した。